2021年3月13日 第15回 |
オンライン (Zoom) 開催 |
麻生 将 近代の都市部におけるプロテスタント教会の存続状況 -京都市と大阪市の比較- 髙橋 勝幸 キリスト教諸聖人の崇敬・巡礼 |
2020年3月7日 第14回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 李 元重 日本基督教団(UCCJ)の合同性を問う 松山 健作 朝鮮聖公会の主教工藤義雄の誕生とその活動 役重 善洋 満洲基督教開拓村と新体制運動 髙橋 勝幸 軽視されるキリシタン史 狭間 芳樹 浦上キリシタンの流配と真宗排耶僧の説諭 |
2019年3月2日 第13回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 髙橋 勝幸 キリシタン殉教と被差別部落の関係 ―差別意識の根の深さ― 布施 智子 「同志社通則」制定過程に関する一考察 麻生 将 昭和戦前期の教会における信徒・教職者の人口移動 西澤 献 日本東部神学校の性質についての歴史的考察 原 誠 「3つの目で神学する-歴史との出会いによって」 |
2018年3月3日 第12回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 松岡 正樹 統計から見た日本バプテスト東部組合 李 元重 魚木忠一の「日本基督教」の方法論について 高橋 勝幸 史実を信仰の名で曲げられるか―日本二十六聖人長崎の道から 片野 真佐子 牧師夫人の働き―上州の例 綱島 郁子 Douglas Murray “The strange Death of Europe -Immigration,Identity,Islam-”を読んで 加藤 俊英 南インド教会の合同過程における聖公会の対応 桐藤 薫 中国近世の「教」と「会」―「エクレシア」はなぜ「教会」と訳されたのか 大村 眞澄 「M.ルターのBerufという言葉について」 |
2017年3月4日 第11回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 岩野 祐介 座古愛子のキリスト教理解と信徒伝道 座古の後期著作を中心に 洪 伊杓 海老名弾正の植民地理解 –吉野作造・石川三四郎との比較を中心に- 高橋 勝幸 マテオ・リッチの適応主義の現代的意義 關岡 一成 「海老名弾正のキリスト教受容」 |
2016年3月5日 第10回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 綱島 郁子 「オーストラリアの聖書協会におけるマレー語聖書の位置づけ -イエール大学神学部所蔵の資料から-」 加藤 俊英 「タイ・キリスト教会の成立過程における宣教師の活動」 李 元重 「戦後朝鮮半島の日本基督教会」 高橋 勝幸 「ヴァリニャーノの現代的意義」 原島 正 「キリスト教史の方法 - 思想史と実証史 -」 |
2015年3月7日 第9回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 徐 亦猛 「中国少数民族におけるキリスト教受容--英国宣教師ポラードを中心に」 洪 伊杓 「武断統治期(1910-19)における韓国キリスト者の日本認識 --「内地」概念の受容過程を中心に -中国少数民族におけるキリスト教受容」 綱島 郁子 「ウィリアム・シェラベアとダンカン・ブラック・マクドナルド --1933年の古稀記念論集からマレーのスーフィー実践を考察する」 加藤 俊英 「カナダ合同教会の合同協議における長老教会の対応」 柏本 隆宏 「ジャン・カルヴァンにおける神の国の建設の神学的考察」 高橋 博厚 「「ユダヤ人」と呼ばれたキリスト教徒たち--4世紀における 「新ユダヤ人」と「半ユダヤ人」という2つの呼称に関する考察」 髙橋 勝幸 「高山右近の列福運動を考える」 狭間 芳樹 「イミタティオ・クリスティと十六世紀日本」 大島 一利 「『コンテムツスムンヂ』巻三の「大切」」 福岡女学院大学 神田 健次 「民芸運動とキリスト教――東アジアの文脈において」 |
2014年3月1日 第8回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | デルミン・ダニエル 「聖アントニオス(c.251‐356)に見る絶えざる祈り」 綱島(三宅)郁子 「1893年から1900年までのメソディスト監督教会マレーシア ・ミッション会議の議事録分析――マレー伝道の意図と背景」 遠藤 浩 「戦時下の日本YMCA「大陸事業」の評価について ――60‐70年代の言説を中心に」 李 元重 「植民地朝鮮における日本基督教会 ――朝鮮中会建設から十五年戦争の開始まで」 桐藤 薫 「天と天主――Deusの漢語訳論争にみる中国的思考」 |
2013年3月2日 第7回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 綱島(三宅)郁子 「マレーシアにおけるマレー語聖書と『神の名』をめぐる 循環問題 ――現状と分析」 徐 亦猛 「中国における農村のキリスト教の受容に関する研究 ――教会の組織を中心に」 遠藤 浩 「1920‐30年代SCMとYMCA―― 一人のYMCA主事をとおして」 青山 静 子「ハンナ・リデルと本田増次郎」 髙橋 勝幸 「誤った日本二十六聖人の道巡礼」 大島 一利 「『コンテムツスムンヂ』巻一、二に見る「大切」」 高橋 博厚 「「ガリラヤ人」という呼称に関する考察」 原 誠 「東南アジアのプロテスタント・キリスト教の特質 ――そのコンテキストとテキスト」 |
2012年3月3日 第6回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 岩野 祐介 「座古愛子のキリスト教理解と信徒伝道」 綱島(三宅)郁子 「神の名をめぐるムスリム・クリスチャン関係(3)」 中川 憲次 「矢内原忠雄と教養教育」 土井 健司 「なぜ神は人間になったのか ――古代キリスト教思想における受肉論の射程」 |
2011年3月5日 第5回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 綱島(三宅)郁子 「19世紀前半のロンドン伝道会によるマレー伝道 ――ペナン拠点におけるトーマス・ペイトン師の活動と問題点」 中川 憲次 「個人誌『新シオン臨時号巡禮通信』に見る伊藤祐之の国家と宗教」 岩野 祐介 「内村鑑三の神学批判と第一コリント解釈」 阿久根 晋 「イエズス会日本管区のラオス布教の試み ――未刊文書史料の分析を通して」 大島 一利 「『コンテムツスムンヂ』における悔悛の教え」 |
2010年3月6日 第4回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 一色 哲 「「一国伝道史」から「キリスト教交流史」へ」 岩野 祐介 「内村鑑三の無教会主義と「神学無用」をめぐって」 綱島(三宅)郁子 「神の名をめぐるムスリム・クリスチャン関係(2)」 中川 憲次 「伊藤祐之の1937年10月1日の祈祷に見る『国家と宗教』」 浅野 淳博 「教会アイデンティティの模索――ガラテヤ教会と宗教融合」 |
2009年3月8日 第3回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 大村 眞澄 「M.ルター『キリスト者の状況の改善に関してドイツのキリスト者 貴族に宛てて』(1520)における “stand” の意味について」 綱島(三宅)郁子 「マレー人のための祈祷会について ――英領マラヤ時代のキリスト教宣教における一試行」 葛井 義顕 「歴史的聖パトリック像――聖パトリックの持つ二つの側面」 狭間 芳樹 「キリシタン信仰における「救贖」の概念」 中川 憲次 「教育者伊藤祐之の闘い」 奥村 直彦 「W.M.ヴォーリズのミッション――その真の目的」 |
2008年3月8日 第2回 |
関西学院大学大阪梅田キャンパス | 三ツ本 武仁 「アウグスティヌスの洗礼体験の意味」 綱島(三宅)郁子 「神の名をめぐるムスリム・クリスチャン関係」 岸本 恵実 「キリシタンの棄教を表す「ころぶ(転ぶ)」という言葉について」 中川 憲次 「学びの本質――矢内原忠雄の「土曜学校開講の辞」をめぐって」 大島 一利 「キリシタン時代の宣教師報告に見える悔悛の報告 研究ノート(1)」 一色 哲 「1940年代後半の沖縄教会――新たに発見した史料から見る」 |
西日本部会の記録 (2008年は「関西部会」と称した) |