キリスト教史学会50年史(1949~1998) 吉田 寅 花島光男 Ⅰ. キリスト教史学会の創立 キリスト教史学会が創立されたのは、第二次大戦後の混乱も次第に落ち着いてきた1949(昭和24年)のことである。創立計画の中心となったのは、海老沢有道・片子沢千代松の両氏であり、1947年の夏頃より横浜において度々の協議を重ね、諸般の準備を推進した。 |
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わが基督教史学会が創立日なお浅いにもかかわらず、ナツメ社主田村喜久蔵氏の営利を度外視した犠 基督教文庫は、三六判120頁内外の文庫本として刊行され、定価は70円前後であった。第5号の近刊目録に掲載された書名と執筆者は左記のようである。 キリスト教史学会創立の当初より学会誌の定期的刊行が企画されていたが、当時の出版界の情勢は非常にきびしいものであり、会報第2号には「研究報告発刊に就いて」と題し、次の記事が掲載されている。 研究報告発刊の希望が多いのですが、交渉中の出版社が経営危機に直面してその運びに致りません。幸 |
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このような状況の中において、さまざまな困難を克服し、『基督教史学』第1輯が刊行されたのは、51年4月1日であり、収載論文は次の4篇であった。 本誌の編輯が軌道にのったのは、昨年の9月でありましたが、印刷所の都合や、本部の焼失などで、 〔『基督教史学』『キリスト教史学』の第1輯より第50集については、第50集に、各号の内容、執筆者一覧を掲示したので、参照していただければ幸甚である。〕 昭和24年10月、石原謙・野々村戒三・魚木忠一・有賀鉄太郎・海老沢有道・片子沢千代松氏等の発 |
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第3回大会は、キリスト教史学会の順調な発展を象徴したものであり、公開講演として、魚木忠一氏の「史学と宗教的現実」、湯浅八郎氏の「アメリカの学問と生活」があり、大会における研究発表者は13名であった。なお研究発表要旨は、『基督教史学』第3輯に掲載されている。 基督教史学会 役員 |
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キリスト教史学会の第5回大会は、54年7月10日・11日の両日、立教大学において開催された。本大会における研究発表者は19名であり、公開講演は松田智雄氏の「改革者ルッターにおけるクライリッヒ・ハイトについて」と、石田幹之助氏の「貞享年間ポルトガルの日本布教再開運動について」であった。 「基督教史研究論文目録」作成について この事業の一環として、55年4月、『東洋キリスト教史研究文献目録(稿)』(吉田寅編)が、東京教育大学アジア史研究会より刊行された。 教会・教派に関係なく、キリスト教を史的研究対象とする全国の研究者・同好者をもって、一九四九 |
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年創立された純然たる学会で、機関紙「基督教史学」(年二回)の刊行の他、会報・諸種出版をなし、 役員の氏名については、第4回大会で決定したあと、若干の増補、変更や組織替えがあったので、前掲の役員一覧表とは稍異なってきた。先の「基督教史学会案内」の末尾に付記されている役員名を見ると、評議員には岩生成一・菅円吉の両氏が、幹事には長瀬守・山本澄子の両氏がそれぞれ加わっていることが明らかである。(役員については、これより以後も若干の変動があったが、小異動については省略した)。 Ⅲ. キリスト教史学会の発展(1955~69年) 本章では、1955年以後におけるキリスト教史学会の軌跡を概観することを主眼とし、具体的には各年度の大会を中心として学会の活動を考察し、またその年度におこった会務運営上の重要事項などについて見てゆくこととする。第6回大会は、55年7月29日、30日の両日、国際基督教大学で開催された。この大会では20名の研究発表があった他、第1日には岡本良知氏の「南蛮屏風について」、第2日には、田北耕也氏の「潜伏キリシタンにおける教会制の名残と典礼の許容」の特別講演があった。この大会の両日はきびしい猛暑に見舞われたが、全国より約100名の会員が参集し、熱心な研究活動が展開された。 第7回大会は、56年6月8日・9日の両日、関西学院大学を中心として開催された。第1日は、関西学院大学における研究発表のあと、参会者が揃って聖和女子短期大学に移り、「キリスト教幼児教育に関する歴史資料展覧会」を見学した。この展覧会では、メーベル=ホワイトヘット・山川道子・桧垣逸代の3氏が解説を担当された。次いで神戸女学院大学図書館に一同で赴き、「日本の讃美歌展覧会」を参観した。ここでは溝口靖夫氏が解説された。 第2日は、関西学院大学における研究発表のあと、大阪市中の島の朝日新聞社講堂において特別講演会があり、海老沢有道氏は「禁書令に関する諸問題」と題し、また飯島幡司氏は「ピオ12世の日常生活」と題し、それぞれ講演された。 第8回大会は、57年6月7日・8日の両日、青山学院大学で開催された。この大会では、研究発表のあと、第1日には、田北耕也氏が「欧米教会の現況」と題し、第2日には、豊田実氏が「聖書和訳の歴史」と題して講演された。なお豊田氏の講演に際しては、この大会において特別展示された日本語訳の聖書についての解説もおこなわれた。 第9回大会は、58年9月1日・2日の両日、横浜市金沢区の関東学院大学で開催された。この大会では、キリスト教史学会10周年の歩みに関する資料の展覧会が開催され、「基督教史学会会報」「基督教史学」等の刊行物も多数展示された。 研究発表の他、第2日の午前には、海老沢氏の司会のもとに、学界動向の報告と、それについての討論がおこなわれた。各部会毎の報告者は左記のようである。 キリシタン史 助野健太郎 日本プロテスタント史 大内三郎 |
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東洋史 宮原兎一 西洋史 相沢源七 第2日の午後は、バス見学旅行を実施し、片子沢・助野両氏および土田豪州氏の解説で、金沢文庫より横浜に及ぶキリスト教関係の史蹟を見学し、横浜駅西口において解散した。 第10回大会は、59年6月20日・21日の両日、東北大学文学部および仙台白百合学園を会場として開催された。この年は、カトリック再宣教、ハリストス正教会ならびにプロテスタント宣教百年に当り、またキリスト教史学会創立10周年にも当っていて、誠に慶賀すべき年であった。 大会における発表申込者が多かった為、本大会において初の二部制(第1日は西洋史部会・日本史関係部会の二部に分けて並行発表)による研究発表がおこなわれた。また第1日の研究発表のあと、三笠宮殿下が「最近のパレスティナの考古学的調査について――パツオル遺跡を主題として――」の特別講演をされた。 大会第2日は白百合学園を会場として、最初にキリシタン部会および東洋史部会の研究発表があり、そのあと「東洋社会とキリスト教」を主題とする討論会がおこなわれた。報告提案の発議は、光島督・小野忠亮・尾山令二・岩間正光の4氏によっておこなわれ、家族制度をはじめ東洋的社会の問題、デノミネーションによる障害等がとり上げられて活発な議論を展開したが、時間の都合により結論を次年度以降に持越して閉会した。 第11回大会は、60年9月2日・3日の両日、聖心女子大学・東洋英和女学院を会場として開催された。 第1日は聖心女子大が会場であり、研究発表と同時に、「明治初期カトリック出版物展示会」が挙行され、参会者は貴重な書籍などを熱心に見学した。 第2日は東洋英和女学院短期大学を会場とし、研究発表のあと、次の両氏による特別講演がおこなわれた。 武田清子 「近代日本におけるヒューマニズムの発想形態」 印具 徹 「最近の欧州における基督教史研究の状況について」 第12回大会は、61年6月9日・10日の両日、近江八幡市の近江兄弟社を中心として開催された。 第1日は近江兄弟社の講堂を会場とし、研究発表がおこなわれたあと、午後の後半より見学の行事に入り、まず近江兄弟社のメンソレータム工場を見学、次いで2台のバスに分乗して、近江兄弟社図書館(近江八幡と近江兄弟社の歴史展見学)、近江八幡神社、近江兄弟社学園、安土セミナリオの跡、安土総見寺、近江サナトリアムを参観したあと、宿舎の長命荘に入った。 夕食後、7時30分より近江兄弟社講堂において、市民講演会が開催され、次の両氏による特別講演があった。 海老沢有道 「安土桃山文化とキリスト教」 山中謙二 「近代世界の形成とキリスト教」 第2日は、午前中、長命荘を会場として研究発表をおこなったあと、午後は第2回目の見学コースに入り、はじめに長命寺を参観し、次いで琵琶湖遊覧船に乗船して明媚な風光を楽しみ、大津港に到着して解散した。 会報48号(52年4月刊)は特集記事として「研究動向」を掲載しており、各部会がそれぞれ、前年度の研究文献もしくは研究動向をまとめている。 キリシタン部会は、既に会報17号(54年3月刊)より、各年度の研究文献目録を継続的に掲げており、本号においても、61年1月より62年3月に至る間の研究文献を集成している。 日本キリスト教史・東洋キリスト教史・西洋キリスト教史の各部会は、48号において、「回顧と展望」の形式で前年度の主要な研究文献を展望しており、この形成は51号にも継承された。(51号には、キリスト教学の分野も加わっている。) 後述のように、会報55号を以って従来の形式の会報が新形式に移行した為、会報における学界動向欄が発展しなかったのは残念であるが、短い時期ではあっても、各部会が研究動向の紹介に積極的であった熱意をみてゆくことができる。 第13回大会は、62年6月15日・19日の両日、明治学院を会場として開催された。 |
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第1日は、午前の研究発表のあと、高谷道男氏が本大会と同時に開催されたヘボン関係史料展示会について解説され、そのあと展示会場の参観および明治学院学内の建物等の見学がおこなわれた。 (編集者注:一部表記について書き換えを行なった) |