『キリスト教史学』第53集・第54集より抜粋

キリスト教史学会50年史(19491998

吉田 寅  花島光男

Ⅰ. キリスト教史学会の創立

 キリスト教史学会が創立されたのは、第二次大戦後の混乱も次第に落ち着いてきた1949(昭和24年)のことである。創立計画の中心となったのは、海老沢有道・片子沢千代松の両氏であり、1947年の夏頃より横浜において度々の協議を重ね、諸般の準備を推進した。
 そして石原謙・神崎驥一・桑田秀延・小崎道雄・坂田祐・斎藤惣一・佐々木順三・豊田実・村田四郎・眞鍋頼一・平賀徳造・矢野貫城・山本忠興・湯淺八郎の諸氏を賛助員とし、有賀鉄太郎・魚木忠一・海老沢有道・大和久泰太郎・片子沢千代松・気賀重躬・重久篤太郎・高谷道男・野々村戒三・比屋根安定・福田正俊・溝口靖夫の諸氏を発起人として、494月に趣意書・会則を発表する運びとなったのである。
 キリスト史学会の特色の一つは、超教派的な学会であることである。当時、エキュメニカル運動は、プロテスタント諸派の動向の一つとしてWCCなどを中心に行われていたが、未だローマ教皇ヨハネス23世の教書発布や第二ヴァティカン公会議の以前のことであり、カトリックとプロテスタントが、一つの共同体的団体を組織することは殆どなかっただけに、これは特筆すべきことであった。
 設立趣意書・会則・入会申込書が配付されたのは494月であるが、設立準備委員会の努力によって広報活動は順調に進行し、この年の1016日、東京YMCAにおいて発会式兼第一回講演会が挙行されることとなった。この発会式でははじめに海老沢氏の「明治初年における宗教自由の問題」と、石原謙氏の「中国伝道の開拓者」と題する二つの講演がおこなわれた。講演会のあと創立総会の議事に移り、会則等が承認され、ここにキリスト教史学会(創立時の表記は基督教史学会)は創立の第一歩を印することとなったのである。
 会員数は、4910月の名簿では、賛助会員14、特別(団体)会員8、普通会員58で計80名となっている。なお創立当時の会費は、普通会員は年額300円、特別会員は600円とし、賛助会員の会費は、特に金額を定めない規定となっていた。
 キリスト教史学会会報の第1号は、491130日に刊行された。第1号の巻頭言である「プロテスタント百年記念に備えよ」および学界展望の「今年度の日本基督教史学界」は、共に片子沢氏が執筆したものであり、他に学界余滴として、海老沢氏が随筆風に、幕末期における「聖書の闇値」を紹介している。
 第2回講演会はこの年の124日、横浜YMCAでおこなわれ、野々村戒三氏「明治基督者の面影」と片子沢氏の「明治初年の仏耶の交渉」が演題であった。この時の野々村氏の講演の梗概は、会報第2号にまとめられている。
 第2号には会報の雑録として、会員の誌上自己紹介があり、①職業 ②専門の学科及び特に研究している分野 ③主な著書及び論文等 ④今年特に研究したいと思っている課題 ⑤其の他(希望・趣味・珍しい史料等)が簡単に紹介されている。この企画は第4号まで続けられており、計32名の会員が自己紹介をしているが、創立期の読者にとっては大変興味深い記事であった。
 第3号には巻頭に片子沢氏の「新しき飛躍のために」の文章があり、第4号には時田信夫氏の「米国における短期大学発達史」および楠本義郎氏の「イエスは教会形成を意図したか」等の論稿が掲載されている。
 第5号には「基督教史学会会則(抄)」が採録され、また「基督教文庫発刊趣意」が紹介された。以下にもその一部を引用する。

 わが基督教史学会が創立日なお浅いにもかかわらず、ナツメ社主田村喜久蔵氏の営利を度外視した犠
牲的熱意に援けられ、ここに基督教文庫を発刊、セクト主義に陥ることなく広く神学教会史はもとより、
社会科学・自然科学から文芸一般にわたりキリスト教の諸相と世界文化とをあらゆる角度から究明した
新研究と、内外キリスト教古典とを簡明平易に解説し、しかも最低価格をもって愛する同胞に提供しよ
うとする微意もまたそこに存する。
 聖籠の下、永遠の真理を求め祖国を愛する士の支持を得て、この困難な計画が全うせられるよう願っ
てやまない。
       195112
                                    基督教史学会

基督教文庫は、三六判120頁内外の文庫本として刊行され、定価は70円前後であった。第5号の近刊目録に掲載された書名と執筆者は左記のようである。
   「現代日本宗教の史的制約性」   海老沢有道
   「吉利支丹文学ノート」      窪田幸夫
   「ヘボン訳新約聖書・校註」    片子沢千代松
   「近代日本文学と基督教」     笹淵友一
   「讃美歌解題」(古典篇)     牧野伴人
   「ピューリタニズム」       野々村戒三
   「ジョンウエスレー」       気賀重躬
 第5号にはまた5110月現在の会員名簿が掲載されている。これによると、特別会員8、賛助会員14、正会員85、客員7となっており、創立期に比べてみるとかなりの増加が明らかとなっている。
 会報6号は、タブロイド版の新聞の形成で作成され、海老沢氏の「ゼズス会の日本人奴隷禁止運動の意義」と、助野健太郎氏が1951年度の学界を展望した「日本基督教史学界とその出版物」が主要な記事となっている。
 創立期のキリスト教史学会を襲った大きな不幸は、195215日夜半、関東学院大学学生寮より発生した火災であった。この火災は寸時に学院研究室および職員寮に延焼した為、当時学院内に在ったキリスト教史学会本部も類燒の厄に遭い、一切の備品・文献等は烏有に帰してしまった。また職員寮に居住しておられた片子沢千代松・八木一男・中居京・柴三九男・冨田富士雄の諸氏もそれぞれ罹災されたのである。このように大きな痛手を受けたにも拘わらず、キリスト教史学会の学会活動は久しからずして再開され、再開後暫らくして刊行された第7号には、片子沢氏の「基督教史学会の性格」を巻頭言とし、基督教史研究講座や、第3回大会の紹介記事等が掲載されている。創立期に学会本部および会員が受けた大きな打撃にも拘らず、試練を乗り越えて活動を再開したキリスト教史学会の姿が、象徴的に示されているものとみることができる。

 

Ⅱ. 『基督教史学』の刊行と初期の全国大会

 キリスト教史学会創立の当初より学会誌の定期的刊行が企画されていたが、当時の出版界の情勢は非常にきびしいものであり、会報第2号には「研究報告発刊に就いて」と題し、次の記事が掲載されている。

   研究報告発刊の希望が多いのですが、交渉中の出版社が経営危機に直面してその運びに致りません。幸
   ひ横浜に奉仕的に印刷して下さる印刷所があるので、300部限定版として発行いたします。会員の方は
   研究された原稿を本会宛お送り下さい。

 このような状況の中において、さまざまな困難を克服し、『基督教史学』第1輯が刊行されたのは、5141日であり、収載論文は次の4篇であった。
   相沢源七     カルヴィニズムの特質
   海老沢有道    幕末における基督教科学書の出版
   片子沢千代松   日本におけるイエス伝
   助野健太郎    日本切支丹期における邦人伝道者の養成と活躍
(第一輯は、108頁の構成で、奥付には非売品とあるが、頒価120円、送料12円で頒布された)
 編輯後記には、刊行に関し経済的、精神的な支援を受けた基督教教育同盟会と、印刷者石川福次郎氏に対する謝辞が述べられている。
 第2輯は525月に刊行され、巻頭の半田元夫氏の「皇帝崇拝と基督教」を含め、計7篇の論文が掲載され、156頁の構成となっている。編輯後記には、以下のように示されている。

 本誌の編輯が軌道にのったのは、昨年の9月でありましたが、印刷所の都合や、本部の焼失などで、
発行が意外に遅くなり、各方面に多大の迷惑をかけ恐縮に存じます。……それにつけても会員諸賢のた
えざる御援助、基督教教育同盟会の御援助こそ、本学会、本誌の発展を促す原動力であることを痛感致
しました。

〔『基督教史学』『キリスト教史学』の第1輯より第50集については、第50集に、各号の内容、執筆者一覧を掲示したので、参照していただければ幸甚である。〕
 キリスト教史学会の第2回大会は、501021日、立教大学において開催され、下記の両氏による講演がおこなわれた。
   秀村欣二  コンスタンチヌス帝とキリスト教
   柴三九男  アジア的社会とキリスト教
 キリスト教史学会の初の全国大会ともいうべき第3回大会は、52811日、12日の両日、横浜YMCAにおいて挙行された。会報第9号には、「創業辛苦三年の結実、初の全国大会開催」の見出しのもとに、次の記事が掲載されている。キリスト教史学会の創立より全国大会開催に至るまでの経緯が簡潔に要約されている文章であるので、以下に最初の部分を引用する。

 昭和2410月、石原謙・野々村戒三・魚木忠一・有賀鉄太郎・海老沢有道・片子沢千代松氏等の発
起に依り、東京YMCAに於いて創立の孤声を挙げたる本学会は、以来一年間は、横浜YMCA・関西
学院・立教大学等に於いて、臨時例会を開き、会報を出す等して、地味な、而して基礎的な働きを続け
て来たが、昭和264月に至り、漸く「基督教史学」第一輯を世に送り出す頃より俄然本格的活動に入
り、本部事務局を関東学院大学内に設置して、新に海老沢有道・秀村欣二・片子沢千代松・助野健太郎
の諸氏を以て本部員とし、毎月委員会を開いて熟議した結果は、神田ナツメ社社主田村氏の協力を得て
「基督教文庫」の発刊を行い、更に会報の隔月刊制を樹立し、次いで「基督教史学」第二集の編纂に掛
る等、順次新計画の実践に努力して来た。本年初頭の火災は、一時、会の計画に頓挫を来たすかの如く
杞憂されたが、幸にも会員各位の絶大なる御援助と、全国各大学の変らざる御協力とに依り、旧に倍す
る学会の復興をとりもどし、四月には見事な雑誌第二輯を世に送る事が出来、基督教史研究ゼミナール
も開催され、全く学会としての面目を中外に発揮するに至ったのである。

 会報第9号の新入会員紹介欄には、三笠宮殿下・岡本良知氏他15名が紹介されており、会員数が着実に伸張していったことを示している。

 第3回大会は、キリスト教史学会の順調な発展を象徴したものであり、公開講演として、魚木忠一氏の「史学と宗教的現実」、湯浅八郎氏の「アメリカの学問と生活」があり、大会における研究発表者は13名であった。なお研究発表要旨は、『基督教史学』第3輯に掲載されている。
 1952年度末尾において、東北支部が結成されたこともまた注目すべきことである。キリスト教史学会の発展に伴い、各地方支部の設立が早くより要望されていたが、ついにその機が熟し、126日、仙台市尚絅女学院短期大学において、発会記念講演会、支部結成式、懇話会が挙行された。
 キリスト教史学会の第4回大会は、5384日、第3回と同じく横浜YMCAにおいて開催された。大会における研究発表者は17名であり、公開講演は、榊原巌氏の「基督教経済倫理」と定金右源二氏の「聖書に導かれた考古学」であった。また当日会場において、「横浜関係基督教史展覧会」が開催され、参会者に大変好評であった。
 第4回大会で特筆すべきことは、この大会において会長の選出と評議員の決定等がなされたことである。キリスト教史学会の発足当時においては、会員数も少なかった為、会長の選出を暫らく延期し、本部幹事会の合議制によって諸問題を処理してきたが、会員数が200名を越えるに至ったので、会長・役員を選出し、学会としての機構を整えることが緊急な課題となってきた。このような情勢により、すでに第3回大会の総会において海老沢・片子沢両幹事を会長制実行委員に挙げ、鋭意、会長推戴の人選に努力した結果、漸く推薦候補者として野々村戒三氏の就任承諾を得ることができたのである。また第4回総会に先立つ4月の幹事会において部会並に専門委員制の採用が、5月の幹事会において評議員会の設置が支持され、6月の幹事会までに全国より15名の評議員を推薦することができることとなった。このような準備段階を経たあと、第4回大会の総会において、会長以下、評議員・専門委員・幹事・支部役員等が、正式に決定されることとなったのである。総会で決定された役員を中心とする役員一覧表をまとめてみると下記のようである。

   基督教史学会 役員
  会長  野々村戒三
  評議員 有賀鉄太郎 家永三郎 石原謙 魚木忠一 海老沢有道 大塚節治 岡本良知 気賀重躬
      桑田秀延 定金右源二 高橋虔 豊田実 野々村戒三 松田智雄 村田四郎 山中謙二
     (本部)片子沢千代松 
  賛助員 今田恵 賀川豊彦 小崎道雄 坂田祐 斎藤惣一 佐々木順三 眞鍋頼一 矢野貫城
      柳田国男 湯淺八郎
  幹事  研究部 海老沢有道 秀村欣二 小野三沙子
      業務部 片子沢千代松 助野健太郎 波多野和夫
  東北支部
   支部長  池田哲郎
   副支部長 仲瀬武
   幹事   相沢源七 
  専門委員
    〇キリシタン部会 今村義孝 岡田章雄 助野健太郎 田北耕也 平重道 松田毅一 吉田小五郎
    〇日本プロテスタント史部会 小野三沙子 片子沢千代松 高谷道男 波多野和夫 武藤誠
    〇東洋史部会   柴三九男 白鳥芳郎 長瀬守 溝口靖夫 宮原兎一
    〇西洋史部会   池田哲郎 半田元夫 秀村欣二 満江巌 藤井誠
     (海老沢有道は研究部門の代表幹事として各部の専門委員を兼任)

キリスト教史学会の第5回大会は、54710日・11日の両日、立教大学において開催された。本大会における研究発表者は19名であり、公開講演は松田智雄氏の「改革者ルッターにおけるクライリッヒ・ハイトについて」と、石田幹之助氏の「貞享年間ポルトガルの日本布教再開運動について」であった。
 総会では、第一議題として、キリシタン史部会を日本カトリック史部会とし、明治以後の日本におけるカトリック教会史及び日本正教会史を対象に加える件(海老沢氏提案)および、第二議題として、日本正教会史部会設置の件(岩間徹氏提案)が提出され、右の両件は類件であるので一括審議することとなった。審議の結果、原案は共に否決され、秀村欣二氏が妥協案として提出された「部会名は現状の儘にして、正教史研究については、別に研究グループとしての活動を認め、将来充実大成の暁に、部会として独立する」ということに落着くこととなった。この審議によって日本正教史研究に始めて組織化の動きがおこったことは特筆すべきことである。
 第六議題では、新規事業の件として、邦文研究文献雑誌論文目録の編纂刊行の件が協議された。キリスト教史学会の出版事業として、ナツメ社刊の基督教文庫が相次いで刊行されたことについては前述したが、54年には『日本基督教史関係文献和漢書目録』(海老沢有道監修)が文晃堂書店より刊行され、このような文献目録がなかっただけに、学界に裨益することが多大であった。
 新規事業はこのあとを受け、この年度よりキリシタン史・日本正教史・日本プロテスタント史・東洋キリスト教史・西洋キリスト教史の各部毎に、研究文献雑誌論文目録を刊行することを企画したものである。この議案は可決され、会報第20号には次の記事が掲載されている。

「基督教史研究論文目録」作成について
    会報第19号によって御承知の如く、第五回総会の申合せにより、本学会ではキリスト教史研究の発
   展のために日本、東洋、西洋に分って表記目録を共同編集致すこととなりました。各部会専門委員はそ
   のために雑誌類の調査に当たることは勿論でありますが、全会員各位も積極的にこの企てに参加せられ
   度、地方雑誌或は特殊誌等、委員の目に触れぬ恐れのあるものから是非関係論文を採鍛本部宛御報告願
   上げます。かつ本会員各位の御執筆論文は洩れなく採録致度存じますので、左記要項により、必ず昭和
   3012月末日までに同様御報告願上げます。
     採録期間 明治元年~昭和30
     採録記事 著訳編者名、題名、掲載誌又は発行書店、巻号、発行年月
   備考 題名でハッキリしないものは分類のため簡単に内容を指示されたい。例、日本新教・思想、西洋
      中世芸術

 この事業の一環として、554月、『東洋キリスト教史研究文献目録(稿)』(吉田寅編)が、東京教育大学アジア史研究会より刊行された。
 『基督教史学』第4輯は、「特輯 キリシタン史論叢」として、5312月刊行された。本号は特輯名が示すように、会員によるキリシタン史研究の論文を集成したものであり、256頁に及ぶ大きな論文集となっている。
 東北支部の結成に続いて阪神支部が成立したのは541月であり、印具徹氏を支部長、溝口靖夫氏を副支部長、武藤誠氏を幹事として、本格的な活動を開始することとなった。
 『基督教史学』第5輯は5412月の刊行であり、論文5篇を掲載したあと、資料として海老沢氏の「聖書和訳史余滴」他2篇を掲載し、更に『基督教史学』(第1輯~第5輯)の総目次や、「キリスト教史学会会報」(第1号~第19号)掲載の主要論文を掲示するなど、入念にして多彩な編集方針を示している。なお最終ページの下部には、以下のような入会案内ともいうべき文章が呈示されている。

「基督教史学会案内」
    教会・教派に関係なく、キリスト教を史的研究対象とする全国の研究者・同好者をもって、一九四九

   年創立された純然たる学会で、機関紙「基督教史学」(年二回)の刊行の他、会報・諸種出版をなし、
   年一回の学術大会・展覧会・各支部例会・部会ゼミナール等を行っている。会員は機関誌及び会報の無
   料頒布を受け、投稿し、また特定図書館の閲覧、取扱図書の割引・研究上の質疑等の便宜等を受けるこ
   とができる。
    現在、西洋史・東洋史・日本プロテスタント史・キリシタン史の四部会、関東・東北・阪神の三支部が
   ある。会費は年額五百円、入会希望者は会費及び専攻部門・職業・住所を記入の上、事務局宛申込まれた
   い。

 役員の氏名については、第4回大会で決定したあと、若干の増補、変更や組織替えがあったので、前掲の役員一覧表とは稍異なってきた。先の「基督教史学会案内」の末尾に付記されている役員名を見ると、評議員には岩生成一・菅円吉の両氏が、幹事には長瀬守・山本澄子の両氏がそれぞれ加わっていることが明らかである。(役員については、これより以後も若干の変動があったが、小異動については省略した)。

 

Ⅲ. キリスト教史学会の発展195569年)

 本章では、1955年以後におけるキリスト教史学会の軌跡を概観することを主眼とし、具体的には各年度の大会を中心として学会の活動を考察し、またその年度におこった会務運営上の重要事項などについて見てゆくこととする。
 第6回大会は、55729日、30日の両日、国際基督教大学で開催された。この大会では20名の研究発表があった他、第1日には岡本良知氏の「南蛮屏風について」、第2日には、田北耕也氏の「潜伏キリシタンにおける教会制の名残と典礼の許容」の特別講演があった。この大会の両日はきびしい猛暑に見舞われたが、全国より約100名の会員が参集し、熱心な研究活動が展開された。
 第7回大会は、5668日・9日の両日、関西学院大学を中心として開催された。第1日は、関西学院大学における研究発表のあと、参会者が揃って聖和女子短期大学に移り、「キリスト教幼児教育に関する歴史資料展覧会」を見学した。この展覧会では、メーベル=ホワイトヘット・山川道子・桧垣逸代の3氏が解説を担当された。次いで神戸女学院大学図書館に一同で赴き、「日本の讃美歌展覧会」を参観した。ここでは溝口靖夫氏が解説された。
 第2日は、関西学院大学における研究発表のあと、大阪市中の島の朝日新聞社講堂において特別講演会があり、海老沢有道氏は「禁書令に関する諸問題」と題し、また飯島幡司氏は「ピオ12世の日常生活」と題し、それぞれ講演された。
 第8回大会は、5767日・8日の両日、青山学院大学で開催された。この大会では、研究発表のあと、第1日には、田北耕也氏が「欧米教会の現況」と題し、第2日には、豊田実氏が「聖書和訳の歴史」と題して講演された。なお豊田氏の講演に際しては、この大会において特別展示された日本語訳の聖書についての解説もおこなわれた。
 第9回大会は、5891日・2日の両日、横浜市金沢区の関東学院大学で開催された。この大会では、キリスト教史学会10周年の歩みに関する資料の展覧会が開催され、「基督教史学会会報」「基督教史学」等の刊行物も多数展示された。
 研究発表の他、第2日の午前には、海老沢氏の司会のもとに、学界動向の報告と、それについての討論がおこなわれた。各部会毎の報告者は左記のようである。
   キリシタン史         助野健太郎
   日本プロテスタント史     大内三郎
   東洋史            宮原兎一
   西洋史            相沢源七
 第2日の午後は、バス見学旅行を実施し、片子沢・助野両氏および土田豪州氏の解説で、金沢文庫より横浜に及ぶキリスト教関係の史蹟を見学し、横浜駅西口において解散した。
 第10回大会は、59620日・21日の両日、東北大学文学部および仙台白百合学園を会場として開催された。この年は、カトリック再宣教、ハリストス正教会ならびにプロテスタント宣教百年に当り、またキリスト教史学会創立10周年にも当っていて、誠に慶賀すべき年であった。
 大会における発表申込者が多かった為、本大会において初の二部制(第1日は西洋史部会・日本史関係部会の二部に分けて並行発表)による研究発表がおこなわれた。また第1日の研究発表のあと、三笠宮殿下が「最近のパレスティナの考古学的調査について――パツオル遺跡を主題として――」の特別講演をされた。
 大会第2日は白百合学園を会場として、最初にキリシタン部会および東洋史部会の研究発表があり、そのあと「東洋社会とキリスト教」を主題とする討論会がおこなわれた。報告提案の発議は、光島督・小野忠亮・尾山令二・岩間正光の4氏によっておこなわれ、家族制度をはじめ東洋的社会の問題、デノミネーションによる障害等がとり上げられて活発な議論を展開したが、時間の都合により結論を次年度以降に持越して閉会した。
 第11回大会は、6092日・3日の両日、聖心女子大学・東洋英和女学院を会場として開催された。
 第1日は聖心女子大が会場であり、研究発表と同時に、「明治初期カトリック出版物展示会」が挙行され、参会者は貴重な書籍などを熱心に見学した。
 第2日は東洋英和女学院短期大学を会場とし、研究発表のあと、次の両氏による特別講演がおこなわれた。
   武田清子   「近代日本におけるヒューマニズムの発想形態」
   印具 徹   「最近の欧州における基督教史研究の状況について」
 第12回大会は、6169日・10日の両日、近江八幡市の近江兄弟社を中心として開催された。
 第1日は近江兄弟社の講堂を会場とし、研究発表がおこなわれたあと、午後の後半より見学の行事に入り、まず近江兄弟社のメンソレータム工場を見学、次いで2台のバスに分乗して、近江兄弟社図書館(近江八幡と近江兄弟社の歴史展見学)、近江八幡神社、近江兄弟社学園、安土セミナリオの跡、安土総見寺、近江サナトリアムを参観したあと、宿舎の長命荘に入った。
夕食後、730分より近江兄弟社講堂において、市民講演会が開催され、次の両氏による特別講演があった。
   海老沢有道  「安土桃山文化とキリスト教」
   山中謙二   「近代世界の形成とキリスト教」
 第2日は、午前中、長命荘を会場として研究発表をおこなったあと、午後は第2回目の見学コースに入り、はじめに長命寺を参観し、次いで琵琶湖遊覧船に乗船して明媚な風光を楽しみ、大津港に到着して解散した。
 会報48号(524月刊)は特集記事として「研究動向」を掲載しており、各部会がそれぞれ、前年度の研究文献もしくは研究動向をまとめている。
 キリシタン部会は、既に会報17号(543月刊)より、各年度の研究文献目録を継続的に掲げており、本号においても、611月より623月に至る間の研究文献を集成している。
 日本キリスト教史・東洋キリスト教史・西洋キリスト教史の各部会は、48号において、「回顧と展望」の形式で前年度の主要な研究文献を展望しており、この形成は51号にも継承された。(51号には、キリスト教学の分野も加わっている。)
 後述のように、会報55号を以って従来の形式の会報が新形式に移行した為、会報における学界動向欄が発展しなかったのは残念であるが、短い時期ではあっても、各部会が研究動向の紹介に積極的であった熱意をみてゆくことができる。
 第13回大会は、62615日・19日の両日、明治学院を会場として開催された。

1日は、午前の研究発表のあと、高谷道男氏が本大会と同時に開催されたヘボン関係史料展示会について解説され、そのあと展示会場の参観および明治学院学内の建物等の見学がおこなわれた。
 午後は研究発表のあと、「東洋の近代化とキリスト教」を主題とする座談会があり、相沢源七(西洋史部会)・山本澄子(東洋史部会)・助野健太郎(キリシタン史部会)・工藤英一(日本プロテスタント史部会)の四氏が、それぞれの部会を代表して最初の発題をおこない、そのあとそれぞれの主題をめぐって活発な議論が展開された。
 第2日は、午前中の研究発表がおこなわれたあと、午後は松田智雄氏が「ドイツのピエティムス」と題する特別講演をされた。

 

(編集者注:一部表記について書き換えを行なった)